2012年9月16日日曜日

そのミュニケーションに敬意はありますか?


何の運命か、私は人前で「自分をどう表現するのか」「人とどうコミュニケーションするのか」といったことを語る機会が多くなって来ました。 そのたびにこんな記憶が蘇るんです。

少し前のことです… 私に、とあるプロジェクトのPRのために、ある人物をラジオ番組に出演させたいとご相談がありました。 私は、お仕事というスタンスではなく、あくまでもボランティア意識で僅かでもお力添えできればと、ライター、編集者、ブランディングのスキルしかない自分だけでは力不足だろうと、放送局関係にコネクションを持ってる知人にお願いして、2人でこのプロジェクトの中心となってる経営者の方にお会いすることになりました。

大人のご挨拶を済ませると、そのお方は開口一番、私たち2人に「僕は10万部以上売れた本を書いた作家で、放送局の上層部に知り合いがたくさん居て、ブランディングなんかも適当にやれてるんだけど…」なんてお話しを始められました。
その導入部に、一瞬耳を疑いましたが、我々のプロフィールを知っていながら敢えてこれを仰ったということは…  書き手としても、ブランディングのスキルも、ラジオ局とのコネクションも、あなた達より私が上だよと、いきなり威嚇されてしまったわけです。

 「相談にのってください」「私たちでよければ微力ながら…」みたいな大人の言葉のキャッチボールを想定していた我々は、そんなエクスキューズに面食らってしまいました。それが事実か嘘かではなくて、初対面の人とのコミュニケーションとしてこれは何だろう? というショックです。我々みたいな堅気の者を、わざわざ呼びつけた上で威嚇なんかして何になるんでしょう?

その後も「経営能力」「未来を見る神通力」「正義感」とか色んなお話を伺ったのですが、ショックを感じてる我々にその内容が響くわけもなく…
予想通り、このお話しはこのまま立ち消えになり、時間を無駄遣いしただけに終わりました。
我々の力不足もあったのかも知れませんが・・・

長く生きてきてるのですから、大抵の大人は、自分を飾る色々な言葉を持っています。 でも、「いいコミュニケーションの基本」っていうのは、相手を威嚇したり、カッコいい言葉を並べたり、ビジネス訓示みたいなネタを披露することではないと、私は思っています。 「自分はどういう人間なのか?」というのは自分自身が人と向き合う時の構えで決まるような気がするのです。

そこに礼儀があるのか?
そこに敬意があるのか?
そこに傲慢さがありはしないか?

私自身は、人と向き合う時… 常にそんな視点で自分を振り返りつつお話しするようにしています。 調子に乗るとついついタガがはずれてしまう自分だから。
専門学校で出会う子供達には、こんな体験を話しながら、コミュニケーションについて丁寧に伝えて行きたいと思っています。

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