『「昨日親友が死にました(T_T)」って呟く当事者がいないのと同様ぼくにはありえない感覚。年もとってリアルに「死」を考えたり接する機会が多くなるとその軽さにはどうしてもついてけない。』
まったく同感です。
身近な死とメディアで見かける死は違うものに感じられるのでしょうか?
所謂・・・他人事。。。
阪田さんの言葉はこう続きます。
『Twitterとかで冥福を祈るの自体アレなんだから(自分も何度も投稿したことあるし、、)そんなの言い始めたら50歩100歩って感じなくもないけど。顔文字は、、、さすがに違和感あるな(^^;; 』
これまた、まったく同感。
私にも火の粉がかかるアレですね。^^;
手当たり次第に「冥福を祈る」のは自分をブランディングするための手法として、心無いコンサルが奨励してたりする掟破りな技(←個人的見解)。
私は結果的にブランディングなるかも知れないけど、"本当に追悼の気持ち"が湧き上がるものだけ投稿するようにしていますが、難しいところ。
そういう手法を若い人に語るお仕事もしてますが、
いつかそこも語らないといけないなって思っています。
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